食べ物の好き嫌いについて最近思うこと。

仕事の会食設定にて

仕事関係で食事のお誘いを受けるときに、「苦手なもの(好き嫌い)はありますか?」と聞かれることがよくあります。私は食べ物の好き嫌いが一切なく「なんでも美味しくいただきます」とお答えできるので、あまりお店選びの手間を煩わせずに済みます。逆の立場であれこれ好き嫌いを言われたら、聞いておいてなんですが、めんどくせーなこいつ、と思いますし、まれに好き嫌いが多いのを当たり前か自慢のように言ってくる人には呆れることもありますし、それがあまりに度を超えていると一緒に仕事をする気が萎えることもあります。いずれにしても、好き嫌いはないほうが、日常生活において便利なことは間違いありません。

好き嫌いが多かった私

こんな私も、昔から好き嫌いがなかったかと言うと、成人するまではわりと好き嫌いが多く、ピーマン、ねぎ、たまねぎ、人参、セロリ、納豆、もやし等々子供が嫌いそうなものはだいたい嫌いでした。それを両親が無理に食べさせるので、ますます嫌いになったというのが実際のところです。大人になっても好き嫌いが多い人に聞くと、わりとこの「家庭や学校で無理やり食べさせられたトラウマ」を原因に挙げる方が多いように思います。

私の場合は、18歳で一人暮らしを始めて料理が好きになったので、嫌いと思っていた食べ物も自分好みの調理をすれば美味しいと気づくことができましたが、このプロセスを経ることができない生活環境だと、ずっと嫌いな物は嫌いですし、嫌いと思い込んでいるパターンも多いように思います。

「好き嫌い」の定義って

「子供の好き嫌いランキング」で検索すると、嫌いな物はだいたい野菜(素材)である一方、好きな物は「ハンバーグ」「カレーライス」「鶏の唐揚げ」「スパゲティ」など、なぜか料理名が多いですよね。それに、多くの子供の好きな物と嫌いな物がほぼ共通しているのだから、これって「白飯が好物に入らない(存在することが前提になっている)」「(食用としての)イモムシは嫌い」のようなもので、既に「好き嫌い」の定義から外れるんじゃないかと思うのですが、まあそれは一旦おいておいて、私は、べつに嫌いな物なんか食べさせなくてもいいんじゃない?と思っています。

人類の歴史と好き嫌い

人間が本能以外で食事をする(できる)ようになってせいぜい数千年というところでしょうが、新人類(クロマニョン人等)あたりを人間と定義しても、19万年以上は食べたい物を食べていたでしょうし、飢えていれば、食べたくない物でも食べて生命を維持してきました。生命にとって、そのとき食べたい物こそが正しい「食」なのだと思います。

その意味で、ほとんどの子供が青臭い野菜が嫌いなのは、おそらく体に必要がない、もしくは有害だからなのでしょう。子供は消化器官が未発達なので、一度にそれほど大量に食べられません。その限られた栄養摂取の機会を、低カロリーで繊維質が多く消化に時間がかかる野菜で満たしてしまっては、子供にとって最も重要な肉体の成長を阻害すると思われます。また、灰汁抜きが必要なことからわかるように、栄養価が優れていると言われている葉物野菜は往々にして毒を持っていますので、体内で十分に解毒する機能を持っていない子供は、本能的にこれを嫌っているのではないかとも思われます。素材は加熱調理の過程で量が少なくなる、つまり質量あたりのエネルギーが高くなりますから、限られた食事の機会で効率よく栄養を摂取することができます。これが、子供の好き嫌いランキングの「嫌いな物は野菜単品、好きな物は主にたんぱく質・炭水化物系の料理名」というところのからくりなのでしょう。

コレステロールはどうなった

私はとくに医学や栄養学の専門知識があるわけではありませんが、たまに医師や栄養士と話す機会にこんなことを言うと、たいていは反論されるでもなく、まあだいたいそのとおりだよ、食べたい物を食べていればいいんだよ、と返されるのでズッコケそうになります。じゃあなぜバランスの良い食事なんかを推奨するのかと聞くと、それはやはり彼らにとってのビジネスなんですね。あれだけ「健康」に悪いと言われていた食事からのコレステロール摂取も、体内コレステロール値とは無関係、しかも体内コレステロール上限値に根拠なし、とそれまでの主張をあっさり覆すような業界ですから、まあ推して知るべしなのかな、と思います。

食べ物の好き嫌いが生きづらさにつながってはいけない

むしろ私が感じるのは、栄養学的観点よりも、冒頭に書いたとおり、食べ物の好き嫌いが、社会環境的な生きづらさにつながってはならない、ということです。望むと望まざると、人間は人間関係の中で生きていかなければなりませんし、信頼関係を築くためには、世界標準で会食という方法がとられている現状において、なんでも食べられるほうが有利であることは間違いないでしょう。だから、家庭や学校では、無理やり食べさせることによる、環境的な好き嫌いを生み出さないことこそが重要と思います。

好き嫌いがダメな最大の理由をあえて探せば、家庭でも学校でも、提供する側が個別の嗜好に合わせるのが大変だからでしょう。これ、会食と同じですよね。会食相手の栄養バランスなんて、基本的に知ったこっちゃないです。家庭や学校でも同じでいいんじゃないでしょうか。子供におかしなトラウマさえ植え付けなければ、年齢と環境に応じて、必要な物を好んで食べるようになります。好き嫌いがなくなった今も、私の記憶には無理に野菜を食べさせられた時の嗚咽感、さらには親や教師に対する黒い感情だけは鮮明に残っていますし、似たような経験を持つ方も多いと思います。ピーマンなんか食えなくても死にませんから、将来あるこれからの子供には、こういう悲しい記憶だけは持たないようにしてあげてほしいものです。

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ABOUTこの記事をかいた人

そうたろう

FXと節約を組み合わせた記事を書いています。 元会社員、元会社経営者にして元浪費家。現在はフリーランスで生計を立てています。もっと早くお金の正体に気づいておけばよかったな〜などと後悔しながらも、あとの祭り的人生をそれなりに楽しんでいます。